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連載

【連載エッセイ】介護という旅の途中に「第21回 旅に出る」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによるフォトエッセイ。

 勝浦で二人暮らしだったご両親を遠距離でサポート、介護を続けてきた飯田さん。一昨年父が他界、時を同じくして母にも認知症の症状が見られるようになったため、母を自宅に呼び寄せたり、その後、施設入居を検討したりと母にとって最適な環境を模索する日々を過ごしていたが、コロナ禍でふたたび、母を勝浦に戻すことを決意し、そこで飯田さんも同居を始めた…。

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伊勢熊野へ撮影の旅

 師走からもう睦月、如月と、もう2月に入ってしまった。日々の移ろいに対応しているうちにあっという間に月日は流れる。

 このところ、母はお風呂後の着替えの準備を整えることが難しくなってきている。今まで着ていた服と新しく着替える服の区別に理解が及ばず、また、下着などが置いてある場所もわからなくなり、その両方が加速している。

 今から少し前に話を戻したい。昨年、2回目の非常事態宣言前のことだ。ヘルパーさんの助けを借り、母が数日一人で勝浦にいることができるようになったことを確認し、私は思い切って旅に出ると決めたのだった。

 寒い時期であれば、母が1週間入浴をせずに過ごしてもともなんとかなる。そんな算段もあった。このタイミングで遠方に行くことを計画した。かねてから作品のための撮影をしたかった伊勢熊野を訪れる時間を作ったのだ。この1年、ほぼ旅らしい旅をしていなかったので、自分の息抜きにもなるかもしれないとも思っていた。

 新型コロナウイルス感染者数は日々更新が続き、Go Toトラベルも一時中止となる直前だったため、感染対策には、万全の注意が必要だと承知していた。私が旅先でコロナウイルスに感染してしまっては今までのステイホームや母を施設から家に戻して安全に暮らす算段をしてきた一連の事が白紙に戻ってしまう。母だけでなく、ヘルパーさんたちは色々な家に出入りしているので、ちょっとした気の許しが多くの感染拡大に繋がる可能性もある事を肝に銘じていた。

 移動は全て自家用車で、そして密を避けて各所を訪ねる時間やタイミングにも気を遣うようにした。なるべく人気の無い山や海辺を巡るのだ。そして、せっかく熊野へ撮影に行くのであれば、昨年天国に旅立った愛犬ナナの故郷である太地(和歌山県東牟婁郡)へも寄りたかった。太地では新型コロナウイルスの感染者はまだ出ていない。なので、迎えるナナの実家の方々へも、私が非常事態宣言中からずっと房総の勝浦の家に定住し、人混みを避けて暮らしていたことを伝えて、私自身には感染の心配がないという安心の元で、ようやく訪ねる許可をいただいた。

 遠路へのドライブの末、伊勢神宮に午後に到着した。すると、まだまだ駐車場は空きがない。このような非常事態の中でこそ神頼み。自分も含め、多くの人の心の拠り所のひとつが神社なのだと改めて感じた。古からの日本の風習に変化はないようだった。

 本宮の参拝は、人の密を避け、翌日の早朝日の出前にする、と気持ちを切り替え、まずは二見浦で禊の詣でをしようと海へ向かった。

スマートスピーカーで母と会話

 二見浦は、母が幼い頃、両親に連れられて毎年伊勢詣での際に来ていた場所とよく聞いていたので、早速母のアレクサ(Amazonの開発したスマートスピーカー)に連絡してみた。

 そういえば、勝浦の家のドアベルも、今は私のスマホから応対できる仕様のものにしたので、こうして遠くへ来てもアプリを起動させると勝浦の天気gドアホンのカメラから確認する事もできる。これも、近くに住む若い友人が教えてくれたアイデアだった。本当に地域の方々に助けられている。

私:「あ、ママ?見える?今、二見浦にいるのよ。夫婦岩はアルバムにあった昔の写真と同じでしょう?」
母:「勝浦は天気良くてね~。暖かな一日なのよ、今、どこにいるって?岩井?」
私:「違う違う、私ね家じゃなくて、伊勢に来てるのよ~。伊勢!」

 母は耳が遠いうえ、私が伊勢に行ったことはすっかり忘れていたようだったので、コントのように行き違いのやりとりが数分続いた。

「二見浦って、小さな頃によく行ったんでしょう?」とカメラであたりを写しながら、アレクサに実況中継する。

→アレクサ導入のいきさつを読む

「あ、昔はそんな柵はなかったわねえ、すぐに砂浜だったわ。」母はだんだんと様子がわかったようで、懐かしんで話が弾んだ。

 しかし、アレクサ通話が終われば、この会話はすぐに母の脳から削除されることだろう。最近の出来事はほとんどがそんな繰り返しだ。自分の人生に不要なものは忘れ、捨て去る…。母はまさに人生の断捨離期に突入している。私もいずれ長く生きれば、同じ道を行く。しかし、変なところで変な記憶が鮮明になったりもするようだ。

母:「冬はよくスケートしたわね。パパとも冬のデートで東京でもアイススケート場に行ってね。音楽で’奥様お手をどうぞ’がかかるとそれはペアタイム!カップルで滑るのよ〜」
私:「へえ、そんなロマンチックな話初めて聞いたよ」

 こんな会話もしばしばだ。せっかく旅に出て来ていても、母の事をすっかり忘れることはできず、常に多少の心配が頭の片隅にありアレクサを頼っている。 

心強いご近所さんの存在

“今、お庭にお邪魔しています。恵子さん一人で元気にしてますよ”

 そうLINEに入ってきたメッセージは、最近勝浦のご近所で仲良くしていただいているA子さんからだった。

 勝浦の別荘地では、ご近所と言っても定住者は少数だ。別荘地内ではご近所付き合いは活発ではない。日常から離れて羽を伸ばし過ごす事が別荘の醍醐味でもあり父はそれを承知で家を持った。とはいえ、いざ日々の暮らしの場となると、ましてや介護を抱えた暮らしとなると、ご近所の助けがないのは心許なかった。

 そんなある日、勝浦名物の朝市に久しぶりに出かけてみたときのこと。以前には見られなかったような新しいお店の出店もあり、私はカメラ片手に通りを巡っていた。中に摘みたてのブルーベリーを販売しているブースがあり、そこで偶然一人の女性と会話をしたのがA子さんとの出会いだ。

「え?私もリゾートタウンです」と会話が弾み、最近ご近所に新築した家の主であると知った。

 A子さんは、私と同年代ですでに二人のお嬢さんは成人され、ご主人が仕事をする東京と勝浦を行き来しているという。最近はコロナ禍もあり、飼い犬のチャーリーくんとほぼ勝浦にいる。

 以来、A子さんは母を気にかけてくださり、私が留守の時はなおさら様子を見に、犬の散歩がてら立ち寄ってくれる事が多くなった。母も「そろそろ来るかな?」と新しい友人の来訪を楽しみにしていいて、ヘルパーさんにも「なんだかね、庭先にね、友達が来てくれるの」と明るい表情で話している。

 そのおかげもあって、母は一人でも過ごす事ができるようになったのだった。

早朝の伊勢神宮から熊野の地へ

 伊勢の早朝、まだ夜も明けやらぬ時刻、雨がしとしと降る参道を、玉砂利を踏みしめて正殿に向かう。心身健康で自分の足で歩け、お参りができる。この静けさも、ジャリジャリという石の音も感じる。五感を研ぎ澄ませつつ「おかげさま」という気持ちを噛みしめながら柏手をうった。

 その後、旅は熊野へと続き、那智大社で三筋の滝を拝み、念願だった愛犬ナナの故郷の太地町へ。

 犬も立派な家族の一員だ。ナナの父犬はまだ健在。他の姉妹も2匹は元気だった。犬の兄弟家族のご縁を介して太地の方々との繋がりはもう10年を超えた。「ここにナナがいたらねえ」と、とても悔やまれた。

 太地の青い海と入り江の雰囲気は、私あが長く撮影を続けている南太平洋のタヒチにも似て、ナナが私の元へやって来てくれたご縁を感じたのだった。早朝、朝日に向かって出港する船の隊列が美しく、海に対する太地の人々のリスペクトを強く感じることができたシーンにも出会うことができた。コロナであれ、日々の糧を繋ぐ漁業や農業に従事している方々には休みはない。

 熊野の奥の宮、玉置神社への山のつづら折りの峠を登ってゆくと雪がちらついて来た。

 季節は巡り、時を重ねてゆく。山肌の岩には太古の珊瑚の化石が眠っているとの看板があった。樹齢3000年をゆうに超える御神木。時の流れはひとつ宇宙に、同時に、しかし全く違う速度で存在し、同時進行している。母も私も、喩えれば人類という大きな樹木のひと枝、ひと葉にすぎないかもしれない。やがて自然に帰するだろう。

私にとって「旅」とは

 勝浦に戻ると、母は意外とケロッとしているように見えた。そんな彼女を見ていると、今まで母を信頼していなかった自分が浮き彫りになったようにも感じた。認知症というレッテルを貼り、私自身が変わりゆく母を怯えすぎていたような気もした。今までできていた事、理解できていたことができなくなることに反応しすぎ、先回りの安全策を講じすぎていたようにも思った。

 しかし、母に旅道中の話をしても、伊勢や熊野の話はうわの空。表情にもあまりインパクトがない。興味の視野が狭まっているのは、テレビや新聞に対しても同じだ。パソコンで言えば、あき容量がほぼなく一杯状態なのだ。

 そして、母は家にA子さんが来てくれている話や、ヘルパーさんとの会話を盛んにし続けるのだった。

 AIのアレクサに憂さ晴らしに「ねえ、アレクサ、伊勢の話、聞いてくれない?」と言ったら、

「ごめんなさい。私にはよくわかりません。アレクサ!アルプス1万尺歌って、と言ってみてください」

 どっちもどっち。アレクサにも相手にされなかった。このように多少のコミュニケーションの不具合やはあっても、母の個性はそのままだ。

 今回の旅は宿泊も含め、他者との親密な会食をすることも避け、宿でも部屋で食べるか、別室で密を避けたものにした。神社であっても本宮では狛犬にもマスクをさせていたほどだ。こんな事態の時には、やはり帰宅すると心底ホッとした。道中ずっと緊張していたのだと思う。

 私の今までは、旅することが日常で、日常の営みをする時間が非日常(?)という時期もあった。そんな時は無いものねだりで、ゆっくり家で日々を過ごしてみたいと思ったりもした。

 しかし、やはり人の営みに旅というスパイスは必要不可欠で、その隠し味により、日常をより味わい深いものにしてくれることは確かだ。感染対策に最大限の気を配り、家に残る母を気にしながらの旅ではあったが、改めて私にとって、旅がいかに大切なものであるかを実感した。

 以前のように自由に国内外を旅することができる平和な日常が社会に戻ることを願ってやまない。

(つづく)

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写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。

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