波乱万丈を生きる先輩から~50代のあなたへ~【下重暁子さんインタビュー】
いつも自分のことは後回し、仕事や家事に追われ、あわただしく生きてきた。気がついたら、50代を迎え、ふと、これからの生き方をどうしようかと考えることはありませんか?
波乱万丈の人生を力強く生きてきた60才以上の先輩に、迷える50代を過ごす上で知っておきたいことをアドバイスしてもらいました。
50代とは「次の人生へのステップの時期」である
9才の時に疎開先の奈良で終戦を迎える。NHK入局後、アナウンサーから転身し、『家族という病』『極上の孤独』などのベストセラー作家となった下重さん。それは“挑戦”を積み上げてきた結果だという。
「50代まで育児・家事や仕事に振り回されることも多いと思います。でも、それを過ぎたら、自分で人生を作り上げていかなければいけません。人生100年時代なのだから、50代には生き方を考えないと間に合いません。ですから50代とは、次の人生へのステップ、スタートラインに立つということでしょうか」
子供の頃、体が弱かったこともあり、母親は過干渉だった。「暁子命」の生き方を母親に糾弾したこともある。そんな母親が亡くなったのは、下重さんが51才の頃だった。
「私にとっての50代は、母からようやく解放され、本当の意味で自立した時期でもあります。
人生の後半戦を自分らしく生きるためには、2つ条件があると思っています。1つは精神的な自立。自分自身で考えて決断していく人生です。もう1つは経済的な自立。子供や親を養うのは大変ですが、自分1人を食べさせるのは、健康ならできますね。この2つができないと、本当の自由はやって来ません。
私はその2つを得るために、50才を前に、あえて『しんどいことを始めよう』と決めました。
ラクなことを求めて生きている人は、決して本当の楽しみがわからないの。しんどいことをやってみて、初めて楽しみがわかります。ラクなことは努力がいらないから、マンネリになってつまらなくなる。しんどい時には苦労をして頭を使うわけだから、できた時に楽しさが生じるんです。
仕事では、ノンフィクションの取材を始めました。自分の足で現場を歩き、事実を調べ上げて、1作に3年かけて書いたのが、『鋼の女 最後の瞽女・小林ハル』と『純愛 エセルと陸奥広吉』。ものすごく時間も労力もかかります。そういうものに耐えられるか、挑戦しようと思ったんです。
プライベートでは、48才からクラシックバレエを始めました。仕事を一生懸命してきたけれど、好きなことをあまりしてこなかったんです。
今でこそ、中高年のバレエ人口は多いけど、当時は周囲に誰もいませんでした。子供たちに交ざって習っていたので、『よくやるわね』『恥ずかしくないの?』と周りからは言われましたよ。でも、自分のやりたいことに恥ずかしいなんて、一切思わなかった。私は『好きだからやりたいの』と答えていました。
そして、小さい教室から松山バレエ団の教室に変わり、毎夏、五反田・ゆうぽうとの発表会で舞台に立ちました。
私は岐路に立った時、自分で道を決めました。もちろん、悩みますよ。悩みのない人なんていないだろうし、悩まない人は成長しないもの。
大事なのは、自分で決断したかどうか。人の意見に従っていたら、人生の結果を誰かのせいにしてしまう。自分で決めるからこそ、自信を持って生きられるのです」
【下重さんからのメッセージ】
人生は人に頼らず自分で決める。期待をするのは、常に自分自身にです。
■下重暁子さん(82才)
1959年、NHKにアナウンサーとして入局。その後フリーとなり、民放キャスターを経て、作家に。エッセイ、評論、ノンフィクションなど幅広い分野で執筆中。『夫婦という他人』『暮らし自分流』など、著書多数。
※女性セブン8月23・30日号
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