連載

兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第51回 初めて見た兄の怒り」

 若年性認知症を患う兄と2人暮らしをするライターのツガエマナミコさんが綴る連載エッセイ。兄は認知症…。その状況を理解し、受け入れ、サポートを続けるツガエさんだが、日々起こる出来事に、気持ちは揺れる。兄の態度に腹を立て、イライラしてしまう自分を責めたり、がっかりしたり。そんな中、今までにない兄の一面を垣間見たツガエさんは…

「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。

◀前の話を読む 

 * * *

兄が「っるっせえなっ!」とつぶやいた!?

 前回「怒りは動物に必須な原始的本能」と知って、「ムカついていいのだ」とホッとしたというお話しを致しましたが、認知症になった兄はこれっぽっちも怒らないので、わたくしは「もはや兄は植物?」ではないかと思い始めておりました。

 これまでも「兄は穏やか」「兄は優しい」「無垢でピュア」と絶賛、称賛し、それ故に自分の薄汚さが目立ちに目立ってムカツクとさんざん愚痴ってまいりました。
しかし、そうではなかったのです。

 先日、やはり兄も動物の端くれだとわかるリアルなツイートを聞いてしまったのです。

 兄といえば日々リビングでテレビ鑑賞でございます。時折笑ったり、テレビにツッコミを入れたりしておりますが、多くの場合はとても静かです。わたくしはそのリビングとふすま一枚隔てた小部屋で原稿を書いたり、パソコンで調べものをして過ごしております。テレビの音が漏れ聞こえてくるのでほとんどの時間ヘッドホンをし、ときに音量多めでユーチューブのお笑い動画に夢中になるという堕落した生活を送っております。

 そんなある日、リビングの開け放した窓から、間違いなく改造したであろう、やかましいバイクのアイドリング音が聞こえてきたのです。今どき暴走族ではないのでしょうが、向かいのマンションにブロロロ、ブロロロロ…と腹に響くような重低音を好んでお出しになる方がいらっしゃるのです。ただ、頻度は1~2か月に一度程度ですし、時間にして1~2分もすれば走り出して聞こえなくなるので、ご近所騒音としては、まぁ許容範囲といったところでございます。

 事件は、その重低音アイドリングがいつもより長く続いて、小部屋で作業していたわたくしが心の中で「やっかましい!早くどっか行ってくれ」と思ったときでした。

 リビングから「ッルッセェナッ」と聞こえたのです。それはとても小さく、口の中で納めようとするかのような声でしたが、明らかに苛立ちの感情を纏い、間違いなく、窓の外に向かって兄が発したものでした。

 たまたまヘッドホンを外していたので聞こえたそれは、新しいイタリアンレストラン「ルッセーナ」でもなければフランス菓子「ル・セ・エナ」でもない(そんなのない)、日本語の「うるさいな」のヤンキー形「っるっせえなっ!」でございます。

 わたくし息を飲みました。「へぇ~、こんなこと言うんだ」という新鮮な驚きです。わたくしが知る限り、兄のそういう乱暴な言葉使いは聞いたことがございません。それだけにちょっと怖いものがありました。

 認知症は「怒り」の抑制ができなくなる病気でもあるので、病状が進行すれば暴言の嵐を覚悟しなければなりません。ただ、兄にはそんな暴言の欠片もないので、このまま暴言なしのバージョンでお届けしてくれるのではないかと淡い期待を持っておりました。

 ですが、やはり「怒り」の感情はちゃんと持っていたことがわかったのでございます。というか、じつはすでにわたくしがヘッドホンなどして耳を塞いでいる間に「妹のくせに偉そうにしやがって」的なつぶやきは発しているのかも? ぞわ~。でもあり得る~。そしていつかそれが正式な声となってわたくしに向けられるのでしょうか…。悲しい。

 ただ、そんな「っるっせえなっ」発言は、今のところそれ一度きりで、兄はやはり草花のような穏やかさで日々を過ごしております。

 今朝も窓の外から聞こえる小鳥の声に反応し、ベランダに出て小鳥を真似て口笛を吹き、タイミングよく返ってくる鳴き声で会話をしているかのごとくしばし歓談し、満足げに戻ってきました。わたくしは毎度スリッパのままベランダとリビングを行き来してしまう兄に「そのサンダルが目に入らぬか!」とうんざりしながら朝食を準備し、兄から見えないところで「バーカ、バーカ」と口パクしております。

つづく…(次回は7月30日公開予定)

前の話を読む  次の話を読む 

この連載の一覧へ!

文/ツガエマナミコ

職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。

イラスト/なとみみわ

●阿木燿子さんが毒蝮三太夫に教えてくれた「義父の介護を救ってくれた言葉」とは?

●2020年8月から介護保険料の負担が8万円も増える! 値上げのからくりとは

●猫が母になつきません 第210話「みだされる」

ニックネーム可
入力されたメールアドレスは公開されません
編集部で不適切と判断されたコメントは削除いたします。
寄せられたコメントは、当サイト内の記事中で掲載する可能性がございます。予めご了承ください。

最近のコメント

シリーズ

介護付有料老人ホーム「ウイーザス九段」のすべて
介護付有料老人ホーム「ウイーザス九段」のすべて
神田神保町に誕生した話題の介護付有料老人ホームをレポート!24時間看護、安心の防災設備、熟練の料理長による絶品料理ほか満載の魅力をお伝えします。
「老人ホーム・介護施設」の基本と選び方
「老人ホーム・介護施設」の基本と選び方
老人ホーム(高齢者施設)の種類や特徴、それぞれの施設の違いや選び方を解説。親や家族、自分にぴったりな施設探しをするヒント集。
「老人ホーム・介護施設」ウォッチング
「老人ホーム・介護施設」ウォッチング
話題の高齢者施設や評判の高い老人ホームなど、高齢者向けの住宅全般を幅広くピックアップ。実際に訪問して詳細にレポートします。
「介護食」の最新情報、市販の介護食や手作りレシピ、わかりやすい動画も
「介護食」の最新情報、市販の介護食や手作りレシピ、わかりやすい動画も
介護食の基本や見た目も味もおいしいレシピ、市販の介護食を食べ比べ、味や見た目を紹介。新商品や便利グッズ情報、介護食の作り方を解説する動画も。
介護の悩み ニオイについて 対処法・解決法
介護の悩み ニオイについて 対処法・解決法
介護の困りごとの一つに“ニオイ”があります。デリケートなことだからこそ、ちゃんと向き合い、軽減したいものです。ニオイに関するアンケート調査や、専門家による解決法、対処法をご紹介します。
「芸能人・著名人」にまつわる介護の話
「芸能人・著名人」にまつわる介護の話
話題のタレントなどの芸能人や著名人にまつわる介護や親の看取りなどの話題。介護の仕事をするタレントインタビューなど、旬の話題をピックアップ。
介護の「困った」を解決!介護の基本情報
介護の「困った」を解決!介護の基本情報
介護保険制度の基本からサービスの利用方法を詳細解説。介護が始まったとき、知っておきたい基本的な情報をお届けします。
切実な悩み「排泄」 ケア法、最新の役立ちグッズ、サービスをご紹介
切実な悩み「排泄」 ケア法、最新の役立ちグッズ、サービスをご紹介
数々ある介護のお悩み。中でも「排泄」にまつわることは、デリケートなことなだけに、ケアする人も、ケアを受ける人も、その悩みが深いでしょう。 ケアのヒントを専門家に取材しました。また、排泄ケアに役立つ最新グッズをご紹介します!