兄がボケました~認知症と介護と老後と「第80回 この季節に思い出すこと」
ライターのツガエマナミコさんは、50代で若年性認知症を発症した兄を8年にわたり共に暮らしながらサポートしてきました。症状が進み、今は特別養護老人ホームで生活している兄の面会に週一回欠かさず行っているマナミコさんが、近況を綴ってくれました。
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7月に逝った親友を想う
梅雨が終わるこの時期は3年前のことが思い出されます。
中学2年生から親しくしていた友人が亡くなったあの日、わたくしはいつものようにお見舞いに行くつもりで彼女の家に向かっていました。でも到着したころには息を引き取っていたのです。あと15分早ければ…そんなタイミングでした。
悲しくて抜け殻になってもおかしくないくらいに密な友人でしたが、自分でも不思議なくらい悲しみが湧きません。いまだに彼女がいなくなった気がしないのです。写真も飾っていませんし、死んじゃったんだなと思うこともなく、たいていは “今頃元気に世界を飛び回っているのだろう”と思えて涙することもありません。
でも未だに「可哀そうに…早すぎるよね」と嘆き、医者が悪いだの家族が悪いといい続けている女性の先輩もいらっしゃいます。
先日も、偲ぶ会と称してランチをご一緒したところ、相変わらずの恨み節で聞いているのがしんどくなってしまいました。「その話もうやめてください」とも言えず、「よっぽど彼女のことが好きだったんですね」と慰めるのが精いっぱいでございました。
親しい人との別れの捉え方は人それぞれ。先輩にしてみれば年下に先立たれたショックがことのほか大きかったのかもしれません。
まったく罪な奴でございます。わたくしは亡くなった友人の顔を思い浮かべながら「いつまで先輩泣かせてるの!なんとかしなさい」と文句を言ってやりました。返事はありません。でもきっとあの子なら何とかすると思っています。
思えば3年前は、ちょうど在宅介護の真っ最中でした。あの頃を思うと、兄が施設に入ってくれた今はとても自由で幸せで、解放感に満ちております。
ただひとつ怯えているのは施設からの電話でございます。携帯が鳴って、画面に施設名が出ると毎回ドキッといたします。
先日も施設からお電話をいただき、恐る恐る通話ボタンを押しました。不安そうなわたくしの声を察した職員の方が「あの、大丈夫ですよ。お兄様は普段通りにお過ごしです」と言ってくださったのでホッといたしました。
お電話の用件は「抜歯をするので同意書にサインをしてほしい」とのことでした。奥の歯が1本グラグラしているとのことで、「抜いてもいいか?」という確認でもありました。「もちろんです」とお答えして、先日面会に行った際にサインしてまいりました。今頃歯を抜かれていると思われます。
家で介護をしていたころは、兄の歯磨きまではしていませんでした。それでも兄が歯痛を訴えることはなく、わたくしは兄の歯の強さに助けられておりました。
施設では歯科助手さまが各部屋を回ってお口の中のお掃除をしてくださっています。最初は口の中を掃除されるのは嫌がっていたようですが、近頃はそうでもないと聞きました。本当に至れり尽くせりでありがたい限り。
兄が何事もなく過ごせていることは、だんだん綱渡りのように危なっかしい細い道になってきている気がして、スタッフの皆さまに感謝をしない日はございません。
家族であるわたくしにもスタッフさまは親切で、先日は、急な雨に「これどうぞ」とご自身の傘を貸してくださいました。感激しながらその傘を開くとふわっといい匂いがしてさらに感激。土砂降りでも少し気分があがりました。確かめたわけではありませんが、傘の内側に香水を忍ばせてあったのだと思います。あまりにもおしゃれな香水の使い方に即感化されたわたくしは、帰宅後さっそく我が家の傘にフレグランスをひと吹きした次第でございます。鬱陶しい雨の日の素敵なアイデア。思いがけずいいことを教わりました。
おっと、ここで一本の電話がかかってまいりました。
「こちら〇〇家庭裁判所、後見係の〇〇です。ツガエマナミコさんでいらっしゃいますか?」
兄の成年後見人の面接のご連絡でございました。2週間後、わたくし一人で家庭裁判所へ行くことになりました。いよいよです。その様子は次の次の回にご報告いたします。お楽しみに。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性63才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現67才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
イラスト/なとみみわ
