若年性認知症とは?当事者が明かす絶望が笑顔に変わるまで
認知症になると終わり? 徘徊する? 暴れる? そんな固定観念が一変! 若年性アルツハイマー病になった当事者が、絶望が笑顔に変わるまでを明かした『丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-』(著/丹野智文 文・構成/奥野修司 文藝春秋)。
ネッツトヨタ仙台のトップ営業マンだった丹野智文さん。彼の人生は、若年性アルツハイマー病と診断されたのをきっかけに一変する。その発端は、人よりも物覚えが悪くなったな――そんな違和感だった。その後、上司やお客さんとの話の内容や顔を忘れるように。「嘘だろ」「もう終わりだ」そんな絶望や怒りを経て、なぜ彼は笑顔で生きられるようになったのか。本書には丹野さんのこれまでと現在の生活、心の内の変化が、奥野さんの手によって、細やかに綴られている。
本書の文・構成をした作家・奥野修司さんにインタビューした。
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「当事者の気持ちを、認知症の人に聞こう」
39才で若年性アルツハイマー病と診断された丹野智文さんの話を聞き書きした。若くして病気とわかり、どう感じて、いま何を思うのか。つらい胸のうちも、希望も、当事者自らが率直に語っている。
「ぼくの12才離れた兄がやはり認知症だったんです。会話ができる間は実家に帰ると話しかけたりしていたんですが、発語がうまくできなくなると、話をしてもわからないだろうと遠ざかってしまったんですよね。亡くなってしばらくして、ふっと、兄は何を考えていたんだろうな、と思うようになりました」(奥野さん、以下「」内同)
認知症についての本を片っ端から読んだが、いちばん知りたい当事者の気持ちは書かれておらず、「それなら自分で認知症の人に話を聞こう」と思ったそうだ。
「要介護1から5の人まで話を聞くうちに、腹が立つとか優しくされてうれしいとか、感情的な部分は全然変わらないことがわかってきました」
本を読むと認知症のイメージがずいぶん変わる。丹野さんの場合は、周囲の理解もあり、それまでいた自動車販売会社で営業から総務に移って仕事を続けている。
若年性認知症の支援体制がないのが課題
「記憶が少しおかしいからちょっと病院に行ってみよう、と若年性の認知症が診断されるようになったのはようやく、ここ4、5年のことです。早期発見自体はいいことですが、その後の支援体制がほとんどないのは今後の課題だと思います」
かつてトップ営業マンだった丹野さんは、手順を詳しくノートに書いて毎日の仕事をこなす。病気のためにできないこともあれば、できることも多い。わからないことは同僚に聞くし、駅で迷ったら周りの人に道を尋ねればいい。
認知症でも生きやすい環境のためには当事者自身に語ってほしい
「病気を理解する人が増えれば、認知症になっても生きやすい環境ができる。そのためには、他人が想像で勝手に解釈するのでなく、自分自身で語ったほうがいい。丹野さん自身、病気を隠そうという気持ちがあった時期に自分のことを語る当事者に会い、自分もきちんと喋りたいと思うようになったんです。丹野さんのことを知って、私だって喋るわ、っていう人が出てきたら、さらに社会が変わるきっかけになると思います」
撮影/太田真三 取材・文/佐久間文子
※女性セブン2017年8月3日号