【荻野アンナさんインタビュー】20年介護を振り返り「起こったことはみんないいこと」
波乱万丈の人生を力強く生きてきた60才以上の先輩に、これからの人生を過ごす上で知っておきたいことをアドバイスしてもらいました。
今回、お話を伺ったのは荻野アンナさん。40代、50代と両親やパートーナーの介護や自身の病気など、壮絶な経験をしてきた荻野さんが、今、伝えたいメッセージとは?
50代とは「前向きに困難を乗り越える年代」である
芥川賞作家にして慶応大学の教壇に立つフランス文学者。40才の頃から高齢の父の介護が始まり、過労からうつ病を発症。さらには食道がんを患った事実婚のパートナー、母親の3人を看取るまで、約20年間介護が続いた。
「振り返ると、いろいろあったのが、体力のある40代、50代でよかったと思います。
介護は心身ともに大変でしたが、私がうつになる要素がもう1つありました。私は子供を産みたかったのですが、30代半ばで芥川賞をいただいて急に生活が忙しくなり、リミットと決めていた40才を迎える頃には、それどころではありませんでした。それが堪えたんですね。
朝起きて、2時間くらい起き上がれない日が続きました。最初はなまけ病なんじゃないかと、自分を責めていたのですが、うつ病だと診断されました」
父親は大病が続き、心不全で倒れて入院した。しかし日本語ができない父親とのコミュニケーションを取るため、荻野さんは病院から毎日のように電話で呼び出された。
「とうとう病院からの電話で『お父さんに出てもらいます』と言われました。何とか見つけた病院だったので、頭が真っ白に。だからあまり覚えていませんが、駅でカッターナイフと缶チューハイを買って、お酒を途中で飲んで、病室に向かいました。
幸い、カッターナイフは鞄にしまったまま取り出しませんでしたけど、キャパを超えていたんでしょうね。いざとなったら…という気持ちが、どこかにあったんだと思います。
55才の時、私は大腸がんになりました。でも、そんなに落ち込みませんでした。むしろバンザイ状態でした。これで自分のことにかまけられる、自分のために入院できるなんて贅沢だと思いました。
この頃、父は他界していて、母を自宅で介護していました。家にひとりでいさせるわけにはいかないので、2つ隣の部屋に入院させてもらって、私は開腹手術。翌日は貧血で動けませんでしたが、母親からアンナコールがきますから、2日後には喫煙所まで連れて行きました。
荻野さんの研究室の壁には、色紙が張ってある。「79転び、80起き」「飲む、ウツ、買う」。そして50代の時に自ら考えた標語は、「起こったことはみんないいこと」。
結果オーライですよ。前向きにならないと、乗り越えられないので。天災は別として、世間では起こったことはみんないいこと、受け取り方次第だと思います。
子を授かりたかったけど、母性愛は教師として生徒たちに向く運命だったんだと思います。“運命”が“産め”とは言ってくれなかったわけです(笑い)」
【荻野さんからのメッセージ】
起こったことはみんないいこと。すべては受け取り方次第です。
■荻野アンナさん(61才)
フランス文学研究の傍ら作家活動を始め、1991年『背負い水』で芥川賞受賞。『ホラ吹きアンリの冒険』など著書多数。2007年フランス教育功労賞シュヴァリエ叙勲。2005年より、11代金原亭馬生師匠に入門、高座名は金原亭駒ん奈(二つ目)。
※女性セブン8月23・30日号
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