兄がボケました~認知症と介護と老後と「第94回 兄が入院しました」
ライターのツガエマナミコさんの兄は現在、特別養護老人ホームに入所中です。50代で若年性認知症を発症してから長い在宅介護を経て施設に入った兄を、それからも週一回必ず面会を欠かさないマナミコさんでしたが、先日、施設内で感染症が出たので面会が禁止になりました。そして、なんと兄にもうつってしまったというのです。
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怯んでしまった医師からの厳しい質問
施設で新型コロナ感染者が出たというお知らせをいただいてから4日目の夕方でございます。
「今、救急車が到着して、救急隊の方が受け入れ病院を探しているところです」と施設からお電話がありました。実は、この日のお昼すぎに「お兄さんに今朝から38℃の発熱があり、先ほどコロナ検査で陽性が出ました」とお電話をいただいていました。
「自費で9000円の注射をすることもできますが、どうしましょうか?」とのご相談に「ひとまず様子をみましょう」とお返事をしたばかりだったのです。施設職員さまのお話では、これまでに陽性になった方で打つ人、打たない人は半々であり、注射をしなかった人も数日で問題なく回復したと聞いたからでございます。きっと兄も問題なく回復するだろうと高を括っておりました。
ところが夕方のお電話では「解熱剤で一旦下がった熱が再び38.5℃に上がってしまって、痰が絡むようになったので看護師が吸引をしました。血中酸素濃度が70台だったので先ほど救急車を呼びました」と状況は一転。施設では夜間に看護師さまが不在になるので、入院になる可能性が高いとのことでした。
病院が決まり次第かけつけることになり、身支度を整えました。この日の夜にはZoom(オンラインミーティング)での仕事を予定していたのですが、急遽延期していただくようお願いをして、施設からのご連絡を待ちました。
まもなく搬送先の病院を教えていただき直行。電車とタクシーで50分ほどかかりました。全く馴染みのない病院でしたが、あとから地図をよくみましたら施設からは頑張れば歩けるほどの近さでございました。
救急外来の待合所で施設の看護師さまと合流した頃には、外はすっかり暗くなっておりました。同じように救急車で運ばれたのであろう人の家族の方々と共に、看護師さまと長い長い待ち時間を過ごしました。
名前が呼ばれたのは、わたくしが病院に到着してから約2時間後でございます。施設看護師さまと診察室に案内されました。医師は、レントゲンと思われる画像を指さしながら「左の肺のここ、肺炎が認められます。コロナ陽性ということもあるので入院していただきます」と告げた後、「延命治療はしないということですが、それでいいですか?」と念を押されました。
それは、施設に入所する際に施設のQ&Aに書いたわたくしの答えでございます。
医師は「痰を吸引したり、点滴で薬を入れたりして治療はするけれど、それでも悪化が進んで重症な呼吸器不全になった場合は、本人の体力次第となります。それきりになる可能性も…」という主旨のお話をサラッとされました。
“延命治療はしてほしくない”というのはずっと決めていたことですし、ブレない自信があったのですが、いざ兄についてそう言われると怯んでしまう自分がおりました。
あとから施設の看護師さまに「医師が言ったのは最悪のケースですから」と言われて、「確かにそうだ。“病院あるある”だった」と納得し、不安は解消されました。でも逆に「家族を怖がらせてどうすんのよ!」と猛然と腹が立ちました。おかげさまで怒りによって元気になった気がいたします。
幸い、救急の処置室から病室に移動する兄の顔を見ることができました。ストレッチャーに乗せられ、ピンクのタオルにくるまれた兄に「お兄ちゃん」と声を掛けるとうっすら目を開けてくれました。でもさすがに笑顔はありません。
帰宅したのは23時近く。ヘトヘトに疲れました。コロナ感染症により1週間は個室での隔離となり、今のところ面会できておりません。入院は2~3週間と見込まれております。施設の都合上、酸素ボンベと夜間の吸引が不要になるまでは戻れません。
隔離が解禁になりましたら顔を見に行こうと思っております。それまでは“便りがないのはいい便り”と信じて、わたくしは健康に磨きをかける所存でございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性63才。両親と独身の兄妹が、2012年にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現67才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。2024年夏から特別養護老人ホームに入所。
